プラハの春とラファエル・クーベリック
プラハの街を一望できる場所に案内された。 そこから眺める街は目を見張るように素敵な街である。 中世の街並みがきれいに並んでいる。 プラハ・・・・・素敵な響きである。あの、モーツアルトの交響曲第38番は 「プラハ」の通称を持つ。 後期3大交響曲に次ぐ交響曲であるが、これは初演の場所がプラハであったことにちなむものであり、楽曲中に特にプラハの情景が描写されている訳ではないようだ。だが、モーツアルトもこの風景を楽しんだであろうと思うと、時代を超えて情景を共有することの素晴らしさを感じる。 さて、このプラハであるが、 歴史的には6世紀後半にスラヴ民族によりヴルタヴァ川河畔に集落が形成された頃より始まったようだ。 9世紀後半にはプラハ城、10世紀頃にヴィシェフラト城が建てられ、両城に挟まれたこの地に街が発達したという。 やはり、城の存在は大きい。 1346年にボヘミア王カレル1世が神聖ローマ帝国の皇帝に選ばれ、カレル4世(カール4世)となると、神聖ローマ帝国の首都はプラハに移され、プラハ城の拡張や、中欧初の大学、カレル大学の創立、カレル橋の建設とヴルタヴァ川東岸市街地の整備などの都市開発が行われ、ローマやコンスタンティノープルと並ぶ、ヨーロッパ最大の都市にまで急速に発展し、「黄金のプラハ」と形容されるほどだったとある。 遠望するプラハ城は立派で美しい形をしている。 市内中心部をヴルタヴァ川(モルダウ)が流れ、今でも古い町並みや建物が数多く現存しており、魅力あふれる街である。 この、プラハは第一次・第二次世界大戦の被害にも、また、その後の資本主義の高度経済成長にも巻き込まれなかったことで、ロマネスク建築から近代建築まで各時代の建築様式が並ぶ「ヨーロッパの建築博物館の街」になったユネスコの世界遺産にも登録されているのである。 ただ、第二次大戦後社会主義国となったチェコスロヴァキアであるが、1968年にはプラハの春と呼ばれる改革運動が起こるが、ワルシャワ条約機構軍の侵攻を受け、改革派は弾圧された。しかし、1989年のビロード革命により共産党政権は崩壊、1993年にチェコとスロヴァキアが分離するとチェコの首都となったのである。 プラハの春音楽祭は、世界3大音楽祭にも数えられる音楽祭である。 約3週間のうちに、世界から集まったオーケストラや音楽家により約50のコンサートが開催されるという。 音楽祭は5月12日にスタートする。 これは第1回目の1946年から変わらない。 5月12日はチェコ国民楽派のスメタナの命日にあたるため、チェコにとっては特別な日である。 「モルダウ」を作曲したことで世界的に知られている19世紀の作曲家スメタナは、ドイツ系が主流だったチェコの音楽界に、自国チェコの題材や民族舞踊を取り入れた甘美な旋律でチェコ国民の愛国心に強く訴求した。 音楽祭初日には、「モルダウ」を含む連作交響詩「わが祖国」が演奏されることが決まっている。 音楽祭の中心となるホールはスメタナ・ホールとドヴォルザーク・ホールである。 スメタナもドヴォルザークもチェコ国民楽派の作曲家だ。 初日はスメタナの「わが祖国」が演奏され、最終日はドヴォルザークが作曲した作品のいずれかが演奏されるのが通例となっている。 第二次世界大戦中のナチスによる支配から開放され、チェコスロバキアが国家として復活してから1周年を祝う1946年5月にプラハの春音楽祭は始まった。 それは丁度チェコ・フィルハーモニー管弦楽団が設立50周年を祝う年にあたり、当時の主任指揮者であったラファエル・クーベリックが先導して第1回音楽祭を国をあげて開催されたのだ。 しかしクーベリックは、チェコスロバキアの共産化を嫌い、1948年に西側に亡命してしまう。 東側の共産主義に属した国々は、言論の自由や自由な経済活動を阻害され、急速に発展する西側諸国からみるみる格差を広げられることになる。 プラハの春音楽祭では、第1回からチェコ・フィルハーモニー管弦楽団がオーケストラ演奏を勤めているが、初めて海外からのオーケストラが音楽祭に登場したのは4年目の1949年のことであり、その年に登場したのは、ハンガリーから来たブダペスト交響楽団であった。 その後は、東ドイツのライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団やシュターツカペレ・ドレスデン、ソ連のレニングラード・フィルハーモニー管弦楽団など、東側の名門オーケストラが続々と登場している。 これを見ると、確かに東側には濃密な音楽の資産が集中していたことが理解できる。 ソ連からは、リヒテル、ルービンシュタイン、ギレリスなどのピアニストが参加し、プラハの春音楽祭を盛り上げていたようだ。 しかし、本当の意味で国際的な注目を浴びたのは、共産体制が崩壊し民主化した( 1989年のビロード革命によりようやく民主化革命が実現した )ばかりの1990年に、第1回プラハの春音楽祭を牽引した指揮者ラファエル・クーベリックが40年以上の時を経てカムバックしたときのことであった。 クーベリックは1986年に指揮活動から引退していたため、再び祖国の地で指揮することは適わないと思われていたが、1990年のプラハの春音楽祭でスメタナの「わが祖国」を演奏し劇的な復活を果たした。プラハの春音楽祭は、伝説的な音楽祭として全世界へと開放されたのである。
by ex_comocomo
| 2012-06-06 14:59
| クラシックの楽しみ
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